Diary (思い出の記録) Vol. 6

     2007・8月22日
    
      NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」収録のため、家族三人で大阪へ。ディレクターの
         村田様が空港に迎えに来て下さり、車でホテルニューオータニへ。レストランでカメラや
         音声の方達と打ち合わせ。夜は伯父一家と会食して、お寿司がおいしかった。(^^)ホ
         テルに従姉が京都のお土産などをたくさん持って会いにきてくれて、久しぶりに話し込
         んだ。
     
    〃,23日、同番組収録。初めて会った悠(はるか)ちゃんはとてもかわいかった。大平
          様とお会いするのは初めてだったので、とても緊張した。インタビューでのしゃきしゃ
          きとしたお声で語り、質問に応えられることに驚きながらもそれについていった。夜は
          ホテル内の和食レストランで悠ちゃんのお父様に夕食をごちそうになり、とてもおいし
          かった。悠ちゃんは大喜びで、私たちに何度も「ひこうき」のポーズをしてくれた。  
     

 <07・8月〜2008・8月>

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  NHK大阪放送局内を見学した。今、放送中
 の朝のテレビ連続ドラマ「ちりとてちん」の収録
 現場など、いろいろ案内して下さった。  
  初めて見る放送局内の小道具など、珍しい
 ものをたくさん見ることができた。
  短かったが、とても有意義な時間だった。
  住田様には感謝!     

 

    9月5日
     
NHK教育テレビ番組「福祉ネットワーク−大平光代様との対談ー」放映。多くの方々か
    らメールやお電話、お手紙を頂いた。感謝!
 
   〃,12日、同番組、再放送。
 
   〃,26日、新しい本のプロットを立てる。
   10月 いよいよ原稿書きを開始。
 
   〃,18日、「夢紡ぐ綾」3刷りの知らせが届く。
 
   〃,27日、台風が関東地方に接近。飛行機の時間を少し早めて東京へ。その影響もあ
     ってかなり揺れたが、無事到着。
 
   〃,28日、風一過の朝には東京の空は雲一つない青空が広がり、ホテルの部屋の窓
     からビルの合間にうっすらではあったが、富士山が見えて頂には雪がちょこんと乗って
     いた。 
      第11回多摩福祉会議研修会「夢や希望をあきらめない」in立川(黎明会あかつき・4F
     集会室)
      遠路はるばる岩手、新潟、群馬などから会場に足を運んで下さった多くの方々が私
     の拙いスピーチを熱心に聞いて下さって、とても嬉しかった。
 
   〃,29日、あかね書房を訪問。須藤様が社内を案内して下さり、社長の岡本様父子が
     私たちを快く迎え入れて下さった。工事中で仮の会社だったが、須藤様の後を引き継
     がれる予定の編集長の重政様を交えていろいろとお話を聞くことができた。とても貴重
     なひとときだった。そのあと、NHK渋谷放送局へ。ディレクターの村田様と漫画家・河
     崎様、そして水戸川さんと再会し、歓談。初めて実際に入った放送局はとても大きか
     った。
 
  11月5日
  
  霧島賞の説明を聞くため、久しぶりに母校の牧園高校へ。高校生活三年間、父の車で
   新川渓谷を通りながら学校へ通っていた私にとってあの時のことがとても懐かしく甦ってく
   る。統合され、「霧島高校」と新しい高校に生まれ変わっても私たち卒業生の高校に対す
   る想いは強い。
    〃,7・14日、第41回日本作業療法学会の講演模様がCSデジタル放送・スカイパ
     ーフェクTV内「医療福祉チャンネル774」で放送。
 
   〃,20日、大平光代様ご一家、本願寺出版・松本様、大栗様来鹿。
 
      〃,照明寺にて大平様と月刊誌「大乗」のための対談。
 
   〃,23日、霧島賞授賞式in霧島高校(旧牧園高校)。底冷えのする高校の体育館
     で、牧園高校同窓会会長・前田終止霧島市長から賞状を頂く。
      「霧島賞」は霧島連山とその大自然は本校の在校生や卒業生にとって常に心
     の故郷であり、心の支えであり、誇りである。この偉大な霧島の名を戴き、本校の
     誉れ高き賞となるように「霧島賞」と命名したーとある。私のような者にこのような
     賞を頂くとは思いもせず、今でもまだ頂いた時の実感が湧かない。
  
12月1日
  
 「霧島賞」受賞式の模様が南日本新聞に掲載。 

ほっと関西630でアナウンサーの住田様と

ホテルニューオータニで大平様親子と

  〃,24日、NHKアナウンサー住田様と再会。

      〃,本願寺出版より「大乗」が届く。
     
 〃,27日、イスラエルの新聞社『Harrez』よりメール取材。我が家の最初の本『走り来れ
       よ・・・・』が現地の教育学会で発表になったという。
      〃,エッセー集『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』に寄稿して下さる方々
       (小・中学時代の友人・斉藤<旧姓仁科>尚美さん、高田直美さん、中学三年間、担
       任をして下さった大木先生、鹿児島国際大学短期学部・佐々木美智子先生)より原稿
       が届く。

     2008・1月22日
        
 寄稿して下さる方々(南日本新聞社編集部ー現・日置支局ーの川口智子さん、松田
        幸久先生、近畿大学・巽純子先生)より原稿が届く。
    
     2月20日
         
 『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』、脱稿。今回の本の原稿書きは自
        分のことを本にする(エッセー集)ためで、昨年の夏から書き始めて試行錯誤の末にや
        っと終えることができた。このような体験は初めてで、最初は戸惑い、不安いっぱいの
        連続だった。でも、それは書くことの大切さと難しさを私に教えてくれた出来事だった。
        終わってみて肩の荷が下りたと同時に書き終えた時の達成感があり、今は書いてよか
        ったと思えるようになった。
      
   3月6日
        
 出水養護学校でのスピーチ・交流。昨年の夏からこの学校の校長先生でプライベー
        トでも父がお世話になっている米衛先生から講演依頼を受けていたのだが、本の原稿
        を書いていてなかなかお返事ができないでいた。あれからやっと一段落ついて、今回
        の講演に来ることができた。お集まり下さった多くの皆様が私の拙いスピーチを熱心に
        静かに聞いて下さり、嬉しかった。なかには熊本からダウン症のお子さんを持つ親御さ
        んも来られていた。
         講演の帰りには武家屋敷に囲まれた一角の米衛先生のお宅へ。校長社宅で、庭や
        玄関先が広かった。
     
   〃,18日、校正送る。
     
   〃, 表紙の装丁。(見本・いわさきちひろの絵)    
      
   4月2日
        
 最終校正。
    
    〃,21日、『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』の上梓。記念すべき日。
    
    〃,26日、西日本新聞社社会部・東様、来訪・取材。東様とは5年ぶりの再会で、今回
         は私が初めて書いたエッセー集『21番目のやさしさにーダウン症のわたしからー』の
         出版取材。5月19日の一面・「pinと」に大きく掲載。
    
    〃,28日、南日本新聞社文化部・吉田様、来訪・取材。5月5日(こどもの日)の社会面
         に掲載。かわいいバラの花かごを頂く。
    
    〃,29日、松田幸久先生ご夫妻より鉢植えのグリーンの紫陽花がお祝いに届く。
    
     5月8日
     
    共同通信社鹿児島支局・山口様、来訪・取材。10年前の私の大学卒業の時(三脚
        台に乗った姿で)に取材で来られた淵野さんの後輩で、初めてお会いした山口さんは
        とてもきれいな女性記者さんだった。
    
    〃,12日、毎日新聞社鹿児島支局・福岡様、来訪・取材。福岡様は感じのよい方だっ
         た。お母様が同じいわさきちひろファンで、私の本を母の日のプレゼントにしたと言わ
         れ、とても嬉しい気持ちになった。16日に掲載。
     
   〃,13日、昨年11月に母校・牧園高校で霧島賞を頂いたお礼に私の本『21番目のや
         さしさにーダウン症のわたしからー』を前田終止霧島市長に差し上げるため、家族三
         人で霧島市役所へ表敬訪問。市長室で前田市長が快く私たち家族を迎えて下さり、
         私の今回の本もとても気に入って下さった。また、市長の秘書の方が鹿児島市出身
         のシンガーソングライター・辛島美登里さんの新しい霧島高校の校歌のCDか、テー
         プを流して下さった。
       
  〃,14日、朝日新聞社生活文化グループ・太田様、来訪・取材。大阪から遠路はる
          ばる来られた太田さんのお顔がNHK教育テレビ「福祉ネットワーク」の町永(アナ
          ウンサー)のお顔にそっくりだった。私の本を「温かい気持ちになり、勇気をもらっ
          た本でした」と言われ、とても嬉しかった。
       
  〃,28日、東京新聞・朝刊に掲載。(『21番目のやさしさに』の記事)
         6月3日
     
     宮崎日日新聞・くらし欄に掲載。(『21番目のやさしさに』出版記事)宮崎
         に住んでおられる父方の親戚より送られてきた。
     
    〃,12日、神戸新聞に掲載。(『21番目のやさしさに』出版記事)この記事を
          読まれた方より感動のお手紙が届く。
    
     〃,17日、掲載紙・四国新聞(香川県)の文化・生活欄に掲載。(『21番目
          のやさしさに』出版記事)香川県の中野雅俊先生より新聞が送られてきた。
     
    〃,田口惇子先生より『21番目のやさしさに』の出版記念祝いの花かごやプ
          レゼントが届く。(写真右下)
           お心遣いに感謝!
      
 

     

                  

「受賞式」

     〃,20日、京都新聞、信濃毎日新聞(長野県)、その他各地のたくさんの新聞に掲載。
      (『21番目のやさしさに』出版の記事)
     〃,28日、朝日新聞大阪本社・生活文化欄に掲載。(『21番目のやさしさに』出版の
      記事)とてもすばらしい記事だった。家族三人のカラー写真がとてもきれいに写って
      いる。たくさんの方々からお電話やメールを頂く。
     〃,25日、全国障害者問題研究(全障研)「みんなのねがい」(500回記念特集号)の
      原稿依頼。
     7月11日
 
     健康保険人吉看護専門学校でのスピーチ。父の加治木高校時代の友人・上田精一
     先生が講義をしておられる学校で、今年の3月をもって統廃合されることになっていた。
     新しい建物だっただけに、もったいなかった。2002年、講演に行ったおこば保育園の
     葎先生をはじめ多くの方が聞きに来て下さった。
     〃,27日、JDS(日本ダウン症協会)in御殿場(静岡)大会で世界的なバイオリニスト・高
      嶋ちさ子さんのストラディバリウスに合わせて「千の風になって」(9・11ニューヨーク・グ
      ラウンドゼロで朗読された)の英語詩を朗読。すぐそばで流れるストラディヴァリウスの
      音色は美しく、夢のようなコラボレーションだった。終わった時は思わず涙が出てしま
      った。

 御殿場は思っていたより暑くて、暑いと
血圧が下がってしまう私にはハードな旅
でぐったりしてしまった。
 でも、リハーサルの時の高嶋さんはとて
も優しく接して下さり、疲れが取れていく
ようだった。
 高嶋さんのお父様は日本に最初にビー
トルズを呼ばれたということだった。
 お母様はとても美しい方だった。また、お姉様ははきはきしていて、
ユーモアあふれる方だった。とても素敵なご家族だった。
 コラボレーション(演奏会)の開かれた会場は外部からの入場者も
おられていて、800名という大盛況だった。とても素敵な経験をさせ
てもらい、一生の思い出になった。実行委員会の皆様と高嶋ちさ子
さんに感謝、感謝!

高嶋ちさ子さんご家族と

高嶋ちさ子さんとのコラボレーション

   8月9日
    
第136回体育同志会(学校体育研究同志会)全国大会in鹿児島・特別講演会(中原
   別荘)
    実行委員の一人で私の中学時代の体育担当・二川明美先生ご夫妻がおられ、特別
   な講演会になった。小・中学校を通じて体育が苦手だった私が体育の先生方の前で
   講演するとは思いもしなかった。二川先生ご家族とも久しぶりにお会いできたし、お集
   まり下さった方々のアンケートもとてもよかった。この夏の心に残る講演会だった。 
   〃,16日、民教連(九州民間教育連合会)・「夏の集い08」in宮崎(ホテル青島サンク
    マール)
     宮崎には2000年の宮崎中央保健所・ダウン症親の会「ひよこの会」で講演をして
    いるが、このひよこの会や都城からたくさんの方々が参加され、何年ぶりかでこんな
    にたくさん集まったと宮崎民教連の先生方が笑っておられた。(^^)母は40年ぶりに
    友人の方と会えて、喜んでいた。